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Project.04プロジェクト&ヒストリー
世界市場進出編

変化に強い人、そして組織。エヌ・ピー・シーのカルチャーは創業から今もなお脈々と受け継がれています。
市場の変化をいち早く感じ取り、新しい変化を生み出してきた当社。
ここでは、そんな当社がこれまでどのような歴史を歩んできたのか、その変化の軌跡をご紹介します。

太陽電池製造装置のニーズを求めてアメリカへ

エヌ・ピー・シーは1994年に真空ラミネーターという装置で太陽電池市場に参入した。当時の日本の太陽電池市場は小さく、当初は日本国内の太陽電池メーカーの研究開発用の装置として納入する程度だった。米国が世界一の市場だったが、エヌ・ピー・シーの規模はたかだか20名程度で海外輸出なんて考えられなかった。ある時米国の太陽電池メーカーを買収した日本の企業から真空ラミネーターの引き合いを受け、てっきり日本の工場に納入するものと思っていたら、その買収した会社に納入するという。当時世界で唯一米国に競合会社があったが、たいしたことなくプアーな装置。なのに米国の太陽電池メーカーでは独占状態だった。その会社が古い装置を下取りして新しい装置を提供するという提案をしている、エヌ・ピー・シーは不利だと聞き、ちょっと待てよ、ここまでやるということは何かあるはずだ、だめもとで米国市場に殴り込みをかけようと決断し、海外展開の準備に入った。

ついに叶う初の世界市場進出

その後この会社も含めて世界のトップ上から5社へ商社などを使うことなく直接アプローチを開始し、また何か武器がないと手ぶらでは勝負できないと考え、エヌ・ピー・シーの独自技術であるサポーティングデバイスの米国特許を出願。また商社マン時代の経験から米国企業は提案を明確にしないと話を聞いてくれないので、当時パワーポイントもなくワープロで切り貼りしてプレゼンの作成するなど準備に約1年費やし、ようやく1996年4月8日にロス郊外にあった当時世界一の生産量だったSiemens Solarを皮切りに米国行脚が始まった。最初のSiemens Solarでの商談では前半はいまいちだったが後半盛り返し、夕方近くなり商談中に担当者が“ちょっと待って、今日一緒に帰る約束をしていた友達に断ってくる”と。よっしゃ!と小さくガッツポーズ。そこから商談が遅くまで続くことに。(このSimens Solarはこの後約2年後に受けたセル自動配線装置の開発依頼が真空ラミネーター以外の事業拡大につながった。) この商談がうまくいったら、Eaglesの名曲Hotel Califoruniaの舞台になった念願のBeverly Hills Hotelで茶を飲もうと決め、それが実現したのが最も思い出深い。その後4社も想像以上に評価を受けた。行脚終了後、評価は受けたものの米国企業はちっぽけな日本のメーカーから簡単にはものは買わない、メンテナンスはどうするの、トラブった時の対応は?となると考え思い切って2か月後の7月にNPC Americaをニュージャージー州に設立。スタートから約2年かかったが、独占していた米国の競合との勝負に勝って全社へ真空ラミネーターを納入することになった。ここから同社との戦いが始まり、次はヨーロッパ市場へと進む。


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